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バイクで遊ぶ

宮崎駿さんとサザンオールスターズ

 私が幼少の頃から好きな物を上げるなら、宮崎駿さんとサザンオールスターズです。

 ラピュタ、カリオストロの城、ナウシカ、紅の豚、魔女の宅急便、耳をすませばが私の好きな宮崎作品です。

 サザンオールスターズは、1990年までが大好きで「サザンオールスターズ」と「人気者で行こう」を頂点に「Kamakura」も素晴らしいと感じています。

 上に挙げた作品以降、宮崎さんもサザンも作品の質が低下し、悪くなった、質が下がったと感じていました。しかしそれは時を経るにつれ、間違っているのではないかとの疑問が頭をよぎる様になりました。
 自分の好きでない形に変化した彼らは「質の上下」ではなく、単なる変化、換言すれば「左右方向への変化」をし、私の好きな形から変質しただけではないか、その様に思えたからです。時代の風景、作家が感じている空気(雰囲気)、持てる技術(作品として落とし込める能力)が受取手としての私の感性に(その時)たまたま合致した結果、私的に最高の作品だと結論に至ったのではないでしょうか。

 であるなら、多くの物事は変化の中でたまたま私の感性と交わり、絶対的な良し悪しではなく(その時代のその個人における)相対的な良し悪しの中で評価され、愛されていくのだと思います。

 車両も同じです。実はなぜかバイクや車の「乗り味」は時代性という、なんだか曖昧な事が色濃く反映されています。技術という制約があるせいなのか?同時代の先端を行く人間は同時に似た様な事を模索し探し当てる様に思います。
 ある科学者が言うには、アインシュタインが居なかったとして、暫くすれば代わりになる人間が現れ相対性理論を完成させた。と言うのです。これはとても説得力があります。他の先端科学や研究の分野は、似た研究をしている人間が多数おり、ほんの少しの差が名を知られるかどうかになって現れる様です。

 私は自分の仕事を他者と比較する機会がなく、どの立ち位置で(ある種の研究ともいえる)仕事をしているのかわかりませんでしたが、ある同業者の友人と知り合えた事が、自分のポジションを明確にしてくれました。それは大きなメーカーが求めている事と変わらぬ部分を目指し、本質の部分では求める終着点に割と近づけている様な気がしています。それを知れたのはとても大きな自信になりました。

 この終着点は近づけば近づく程、距離が遠くなると言う大きな矛盾を孕んでいます。一般的に言えば無知の知と言うやつですね。知れば知るほど無知な自分を知ってしまう。悲しい現実です。しかしこれが楽しいから、仕事を続けていられるのです。
 もし、転職を繰り返し自分が情けない人間だと感じているのであれば、求道者よろしく、一心不乱に求めれば道が開けるかも知れません。

 結論は、なんなのか分からなくなるのが私の悪い癖。閑話休題。要は芸術も科学も時代性と雰囲気が、大きな要素であると理解しています。

 

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